必要とされる人間であれるよう
当事者意識を持つ。
代表社員の八木谷と申します。
1999年からスタートした当法人のバトンを
2022年に受け取りました。
まだまだ駆け出しですが、
歩みを止めることなく一歩ずつ精進して参ります。
私について簡単に知っていただけますと幸いです。
代表社員の八木谷と申します。
1999年からスタートした当法人のバトンを
2022年に受け取りました。
まだまだ駆け出しですが、
歩みを止めることなく一歩ずつ精進して参ります。
私について簡単に知っていただけますと幸いです。
私は高卒です。
社会保険労務士の受験者は
大卒者がほとんど
(受験資格に学歴が問われ、学歴要件を満たさない場合は他の要件を満たさなければならない為)
なので、高卒者の社労士は多くないと思います。
高校時代は大学進学も一応視野にあったのですが
「なぜ勉強しなければならないか」
「なぜ大学進学が必要か」
「なぜ仕事しなければならないか」
と悩み、それをこじらせて
「なぜ生きなければならないか」
というところまで行ってしまい、
宗教書なども読んだりしました(今も昔も無宗教です)が
そんな壮大な問いに
ただの高校生が解を出せるわけもなく…
本には良いことも書いてありましたが
どれも完全には腑に落ちなくて、結局
「自分は誰かに必要とされるために生きてるし、
これからもそのために生きる」
という考えに至りました。
大学には進学せず就職を選択したものの
そこでは何もできず1年程度で退職しました。
社会は甘くなくて、
何かをできると思っていた思い上がりを
へし折られたのです。
初就職が無残に終わり、
人生で一番といっていいくらい
悔しい思いをしました。
二度と同じ思いをしたくなくて、
このとき人生で初めて真剣に、
何が良くなかったか、
どうすべきだったかという自己分析をしました。
結果、自分を客観視できていなかったし、
何より会社が自分に求めるものを
理解できていなかったと思います。
その後約10年間サラリーマンとして
営業、販売などの職に就きました。
20台半ば頃から会社とお客様に必要とされる
ことの喜びを実感できていました。
自己分析は活きましたし、
今でも仕事上のミスなどがあると
自己分析はよくします。
28歳のとき、父・八木谷宏二が約5年営んでいた
個人開業の社会保険労務士事務所に転職します。
それから20年経った現在も
「人に必要とされるため」は全く変わりませんが、
私の環境の変化に伴い、必要とされたい対象が
少し広がりました。
今は「お客様、法人の従業員に必要とされるため」に
仕事をしています。
もちろん家族もです。
必要とされるには、お客様の望みを知り、
そしてそれに合わせて
自分のすべきことをしなければなりません。
それも、可能な限り、お客様に起こっていることを
自分自身や自分の家族に起こったことのように
感じたいと思いながら仕事をしています。